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羽柴秀勝 (石松丸)

羽柴 秀勝(はしば ひでかつ、元亀元年(1570年) - 天正4年10月14日(1576年11月4日))は、安土桃山時代の人物。羽柴秀吉が近江国・長浜城主時代に側室・南殿(一説に京極高次の妹竜子とも)との間に設けた長男で、幼名は石松丸(いしまつまる)。
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秀吉の正室のねねには子がなかったため、秀吉にとっては初めての男児であったが、6歳で夭折した。秀吉は幼くして没した彼を偲ぶためか、彼の名である「秀勝」を養子の内の何人かに名乗らせており、羽柴秀勝や豊臣秀勝もその一人である。その存在を疑問視する声も多いが、宝厳寺の「竹生島奉加帳」に秀吉の子の「石松丸」の存在は、その母の南殿と共に記されており、また、滋賀県長浜市の妙法寺に秀勝の肖像画が所蔵されていたが焼失し、現存していないものの、天正4年10月の銘文がある秀勝のものと思われる供養塔が残っており、同市の徳昌寺には位牌があり、法名は本光院朝覚居士となっている。

秀勝が夭折せず成人し豊臣家を継いでいたら、秀次事件や徳川家康の天下取りを阻止し、豊臣家や豊臣政権は存続したとの声がある。

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2009年05月30日 11:53に投稿されたエントリーのページです。

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